ポケットのなかに愛をつめて。

JUMP担。アリオカとヤマダ。

グラスホッパーについて考えてみた。

グラスホッパーを見てきました。 2回目だったので最初に見たときと比べてだいぶ落ち着いて見ることができたものの、1回見ているにも関わらず見終わった後、思わず文に残したくなる熱量があるうちに文に残しておこうと思って筆をとった次第です。普段、文に残すという手間をめんどくさがるくせに珍しいこともあるもんだ。 で、だいぶネタバレが含まれるので、まだ見てない方、私のへなちょこな読解力が不快な方、静かにプラウザバックお願いします!

最初の蝉のアクションシーンについて。

初めてグラスホッパーを見た時に一番しびれたのがこのシーン。なんてったって山田涼介かっこよすぎて息するの忘れて見入った。。窒息するかと思った。。。

今回はパンフレットを読んで臨んだので、このシーンが1カットで撮影してる事を知った上で見たから余計に最後まで駆け抜けてくこのシーンの一貫したスピード感に圧倒された。そして蝉の、生きていること、存在していることをまるで1つ1つ確認するかのような身のこなしや手さばき。生を求める一方で、その奥のどこかに退屈さも持ち合わせるその姿。決して大人びているわけでも、子供っぽいわけでもなく、ただそこにいる、存在してるっていう不思議な存在感を醸し出す山田涼介すごい。。。

蝉と岩西との掛け合いについて。

会話のテンポがすごく心地よくて、お互いに心を許しているが故のじゃれあいがハードボイルドなこの作品にうまく緩急をつける役割を果たしているような。唯一蝉の子供っぽさだったり、等身大の蝉が(果たして何歳の設定なんだろう…)描かれていたシーンがここ。特に、岩西に雇い主と雇われるという関係をみせられて、相方だと思っていた分、裏切りを感じる蝉がすごく純粋で、人間臭くて、たまらなく愛おしくなった。

あと、岩西の部屋での後ろ姿と仕事中の後ろ姿とで歩き方の重みというか速さというか(語彙力)が違うような気がして、本人は使い分けているのかなっていう素朴な疑問。

鯨の目について。

パンフレットにも書いてあったけれど、鯨の目に吸い込まれた瞬間、光がフッと消えて、自殺をする、させるの上下関係がなくなってターゲットと鯨とがフラットな関係になる(=蝉の言うガチな関係?)。そして当たり前の流れかのように自殺に追い込むその目力にスクリーンを挟んでいるはずなのに見てるこちら側もスンっと吸い込まれるようなカメラワークに脱帽。浅野忠信さんすごい。。。

生田斗真の存在感について。

突然の役者名だけども。

大きくしたり、小さくしたり、消したり、かと思えば包み込むように優しく温かいものにしたり場面場面で絶妙変えてくる生田斗真の圧倒的主演力。さすがすぎ。

鈴木の印象としては原作にくらべて復讐に燃える、というよりかは犯人は誰で、なぜこんな事件が起こったのか、を知りたがっている感のほうが強かった気がする。

最後、指輪を渡してくれた男の子を思わず抱きしめていたのも、なぜ婚約者は死ななければならなかったのか、の瞬間を知る男の子を、彼女が自らの命を投げ打ってでも守りたかった、これから自分のかわりに人生を紡いでいく男の子を目の前にして彼女への純粋な思いや、温かい記憶を思い起こし、そんな思いを前に復讐を考えていた自分があまりに陳腐で、たまらなくなってしまったのだろうか。このシーン好きだったなあ。

蝉と鯨が対峙するアクションシーンについて。

仕事のやり方も、生き方も、何一つ違うタイプだからこそ分かり合える部分ってたぶん少なくなくて、この2人の共通点としては内から出る苛立ち、哀しみを断ち切りたいという思い。この対峙するシーンではお互いに背負っていたものが清算されつつあったから、もしかしたら2人ともここで終わるって分かっていたのかもしれない。だからこそ思いっきりぶつかりあえたのだろうか。それまで以上の疾走感と、組織のシーンとはまた一味違う、物語をひきしめていく、とにかく蝉と鯨のガチな関係がとにかくかっこよかった。

岩西と蝉の最期について。

岩西と蝉は2人とも飛び降りで最期を迎えるが、もしこれが作り手の意図だとしたら、どんな意味があるのだろう。

岩西はジャック・クリスピンという小説内の架空の人物の言葉を引用しているが、その中で頻繁に出てくるのが「トンネルを出る前こそ気をつけろ」という言葉だ。もしこのあとに「出たあとは思いっきり飛び出せ」が続くとしたら、ジャック・クリスピンが心の拠り所だった岩西も、そんな岩西を心の拠り所としていた蝉も、窓から飛び出す(飛び降りる)という死に方がなんとなく腑に落ちるような気がしている。

また鯨もクライマックスで、蝉に押された瞬間、ああ、これでようやく精算だ、と言うかのようにフッと柔らかく笑った後、自ら蝉と一緒に”トンネルを飛び出した”のもすごく印象的だった。

グラスホッパーを見るのは前述したとおり2回目で、もちろん結末も話の転がり方も分かっているけれど、その上で巻き込まれていくのも悪くないな、と思った。

とにかく殺しのシーンに、血まみれのシーン、組織のシーンなど、これでもかというほど重厚な作りだったものの絶妙なタイミングでフッと安心できる緩みがあったおかげで最後までしっかりと巻き込まれることができたし、鈴木がピストルをぶっ放されながら猛スピードの車に追いかけられるシーンや、蝉と鯨のアクションが生きていたのかな、と思いましたとさ。

はあ~~~~なにはどうあれ山田涼介の演じる蝉の大人と子供の混じりあった部分、無の部分、内から出る怒りと哀しみ、興奮がうまい具合に表現されていて、これが銀幕デビューだなんて、なんてこれからが楽しみなんだろう。

ジャニーズに初めましての話。

正直今年中にヲタ卒するのかな、と思っている。

これはもちろんまだまだ未定の話。だからどうなるかわからない。ただ、ジャニーズと出会って早12年。10代の頃、20歳になったらヲタクをやめよう、と特に20歳が成人だから、とかそんな理由なんかじゃなくて、そのくらいしないとヲタ卒なんてできないから。そう思っていたのにこんなにもあっけなく20歳を超えてしまった。だからもう簡単に自分から切り離せないのがオチなんだろうな、とは思うわけで。

こんな軸がブレブレなわたしでさえ1つ分かることは、きっと例えヲタ卒をしたとして、その後の人生においてここまでの熱量とお金と時間を掛けられるものは出てこないってこと。

ジャニヲタをやってるともう気軽にファンです、とか言えなくなっちゃったから余計に。

来るべき時、を迎えた後ジャニヲタライフを振り返ったらたぶんだいぶ興味深いと思うのでジャニヲタの始まりについて書いておこうかな、くらいの軽い気持ちで書いてみよう。

 

ジャニーズと初めましてをしたのは幼稚園の時。日曜日のお昼はハロプロの番組からya-ya-yahを見るのが毎週のお約束だったから。その時スタジオの中で、後ろにいたたくさんの女の人視線の先にいたのが、薮宏太だった。初めてジャニーズだって認識したのが薮くん。わたしが初めて好きになった芸能人。

その頃の薮くんの印象はひょろっとしてるのに歌声は力強くて、さらっとしてて、綺麗で、こんなかっこいいお兄ちゃんいるんだって割とカルチャーショックだった。それ以来夢中で薮くんばっかり見てた。

遊園地の鬼ごっこ企画も、クイズに答えられなくてケータイがプールに水没するのも、おばあちゃんの手を引いて商店街を歩いてるのも、今でもちゃんと覚えてる。

 

そんな幼きわたしの心に道場破りをするかのように扉をぶち抜いてきたのが、八乙女光

そう、金八先生の丸山しゅう。薬物中毒で苦しむ姿がカメラのフラッシュみたいに強烈な衝撃を受けた。ドラマの放送が終わった後も、本気でこの子大丈夫かな?今辛いのかな?とかやたらしゅうを引きずりまくってた。

ちなみにこれは小学校低学年の頃の話だが、今の恋愛に通づる何かを感じるな。

 

光くんの時代はわたしの中でボキャブラリーが貧しいわたしの言葉で恐縮だが、タチの悪い夏風邪みたいなもので、だいぶ短かったから、好きだった、というより、気に留めてた、ぐらい。

 

そしてやってきたわたしのジャニヲタライフの真の始まり。

ya-ya-yahYOUたち!を経て我が家のリビングではジャニーズの番組を見るのは習慣としてあって、3つ上の姉もジャニーズにハマっているという、生粋のジャニヲタが育つにはこれ以上ない環境だったから、まあわたしがこう育ったのは必然的だったんだろう(適当)

 

ついに会ってしまった。

わたしの記憶の中で1番古いその人をしっかり認識した記憶はYOUたち!のお便りを読んでいて、初めて自分にお便りが来たからかカメラに抜かれるもビックリあんぐり顔だった。私もそう思ってた!かっこいい!よく見てますね!ってYOUたち!にそのお便りを出した人にわたしがお便りを出したい気持ちだった。

 

そう、山田涼介。

いまじゃHey!Say!JUMPのセンター。

でもこの頃は他のjr.と一緒に後ろの椅子に座って、常に映ってるわけじゃないけど、可愛い顔してるなーって思ってた。その時も気にはなってるけども、まだ気になっているぐらいだった。

でも気づいたら踊る場所もグングン前に出てきて、あれ?いつの間にこんなに前に出てきたの?ってなんかちょっと遠くなったなあ、みたいな。

青春アミーゴの時も、いつも亀より山Pより裕翔くん(我が家でのあだ名は小リスちゃん)よりそのすぐ後ろで体いっぱい大きく踊ってる、山田涼介を見ていた。その頃の感想は最近ほんとよく前で踊ってるなあ、とか、少クラでよく見るなあ、とか。

 

ちょうどこの頃姉が山田担に降りてきて、姉妹仲良く山田涼介にブンブン振り回されることになろうとは、まさか妹が20歳を迎えて、Hey!Say!JUMPが初めて24時間テレビをするにあたってテレビとレコーダーをきっちり買い揃えるまでに成長するなんて誰が想像しただろう。

 

雑誌でも順調に見る機会が増えて、ページ数が増えて。

どこでも裕翔くんと一緒に出る機会が増えてきたけど、やっぱりわたしが見てるのは山田さんばっかりだった。

 

そんなこんなで迎えた2006年。

山田担で知らない人はいないであろう、探偵学園Qの単発のドラマが放送された。

姉が編集して、CD-ROMにタイトルとか印刷してくれて、ディスクが擦り切れるんじゃないかってぐらい見てた。

もう予想の遥か上をゆく成長率。かっこいい人に囲まれるとこんな上手に育つんだな、さすがジャニーズだな(しみじみ)とか思っていて、そんなこんなで1年。

 

難しいことは何もわからなかったけど、その頃ひたすら感じてたのは、あ、この人最近どんどん人気になってるって。嬉しいようなさみしいような、なんともいえないあの感じは大学生になった今だってぴったりな名前がわからない。

 

2007年7月。

探偵学園Q連ドラが始まった。

山田涼介の透明感と儚さとかっこよさを溢れんばかりに詰めた山田担にとって伝説の最強神ドラマ。

いちばんしっくりくる言葉をあてるなら、爆発。 もう爆発的としか言いようがないくらい山田涼介が人気者になったあの夏。 山田涼介をHey!Say!JUMPのセンターを任されるまでに押し上げたのかは間違いなくこれがきっかけだった。

 

クールな役にぶち抜かれてめでたくジャニヲタになった方、はたまた本来の山田涼介の人懐っこさにりゅうとのギャップにぶち抜かれてめでたくジャニヲタになった方。

きっと山田涼介のファンが増えた時期ランキング上位がこの時。

 

そこからとんでもない速さでHey!Say!7がデビューをして、あれやこれやと迎えた9月。

山田涼介はめでたくHey!Say!JUMPとしてデビューした。

JUMPには薮くんも光くんもいて、なんだか懐かしいような不思議な気分になった。

 

ここまでがとりあえずわたしが唯一jr.担だった頃の話。

気が向いたらデビュー後の話でも書きますか。はあ。長かった。