ポケットのなかに愛をつめて。

JUMP担。アリオカとヤマダ。

ジャニーズに初めましての話。

正直今年中にヲタ卒するのかな、と思っている。

これはもちろんまだまだ未定の話。だからどうなるかわからない。ただ、ジャニーズと出会って早12年。10代の頃、20歳になったらヲタクをやめよう、と特に20歳が成人だから、とかそんな理由なんかじゃなくて、そのくらいしないとヲタ卒なんてできないから。そう思っていたのにこんなにもあっけなく20歳を超えてしまった。だからもう簡単に自分から切り離せないのがオチなんだろうな、とは思うわけで。

こんな軸がブレブレなわたしでさえ1つ分かることは、きっと例えヲタ卒をしたとして、その後の人生においてここまでの熱量とお金と時間を掛けられるものは出てこないってこと。

ジャニヲタをやってるともう気軽にファンです、とか言えなくなっちゃったから余計に。

来るべき時、を迎えた後ジャニヲタライフを振り返ったらたぶんだいぶ興味深いと思うのでジャニヲタの始まりについて書いておこうかな、くらいの軽い気持ちで書いてみよう。

 

ジャニーズと初めましてをしたのは幼稚園の時。日曜日のお昼はハロプロの番組からya-ya-yahを見るのが毎週のお約束だったから。その時スタジオの中で、後ろにいたたくさんの女の人視線の先にいたのが、薮宏太だった。初めてジャニーズだって認識したのが薮くん。わたしが初めて好きになった芸能人。

その頃の薮くんの印象はひょろっとしてるのに歌声は力強くて、さらっとしてて、綺麗で、こんなかっこいいお兄ちゃんいるんだって割とカルチャーショックだった。それ以来夢中で薮くんばっかり見てた。

遊園地の鬼ごっこ企画も、クイズに答えられなくてケータイがプールに水没するのも、おばあちゃんの手を引いて商店街を歩いてるのも、今でもちゃんと覚えてる。

 

そんな幼きわたしの心に道場破りをするかのように扉をぶち抜いてきたのが、八乙女光

そう、金八先生の丸山しゅう。薬物中毒で苦しむ姿がカメラのフラッシュみたいに強烈な衝撃を受けた。ドラマの放送が終わった後も、本気でこの子大丈夫かな?今辛いのかな?とかやたらしゅうを引きずりまくってた。

ちなみにこれは小学校低学年の頃の話だが、今の恋愛に通づる何かを感じるな。

 

光くんの時代はわたしの中でボキャブラリーが貧しいわたしの言葉で恐縮だが、タチの悪い夏風邪みたいなもので、だいぶ短かったから、好きだった、というより、気に留めてた、ぐらい。

 

そしてやってきたわたしのジャニヲタライフの真の始まり。

ya-ya-yahYOUたち!を経て我が家のリビングではジャニーズの番組を見るのは習慣としてあって、3つ上の姉もジャニーズにハマっているという、生粋のジャニヲタが育つにはこれ以上ない環境だったから、まあわたしがこう育ったのは必然的だったんだろう(適当)

 

ついに会ってしまった。

わたしの記憶の中で1番古いその人をしっかり認識した記憶はYOUたち!のお便りを読んでいて、初めて自分にお便りが来たからかカメラに抜かれるもビックリあんぐり顔だった。私もそう思ってた!かっこいい!よく見てますね!ってYOUたち!にそのお便りを出した人にわたしがお便りを出したい気持ちだった。

 

そう、山田涼介。

いまじゃHey!Say!JUMPのセンター。

でもこの頃は他のjr.と一緒に後ろの椅子に座って、常に映ってるわけじゃないけど、可愛い顔してるなーって思ってた。その時も気にはなってるけども、まだ気になっているぐらいだった。

でも気づいたら踊る場所もグングン前に出てきて、あれ?いつの間にこんなに前に出てきたの?ってなんかちょっと遠くなったなあ、みたいな。

青春アミーゴの時も、いつも亀より山Pより裕翔くん(我が家でのあだ名は小リスちゃん)よりそのすぐ後ろで体いっぱい大きく踊ってる、山田涼介を見ていた。その頃の感想は最近ほんとよく前で踊ってるなあ、とか、少クラでよく見るなあ、とか。

 

ちょうどこの頃姉が山田担に降りてきて、姉妹仲良く山田涼介にブンブン振り回されることになろうとは、まさか妹が20歳を迎えて、Hey!Say!JUMPが初めて24時間テレビをするにあたってテレビとレコーダーをきっちり買い揃えるまでに成長するなんて誰が想像しただろう。

 

雑誌でも順調に見る機会が増えて、ページ数が増えて。

どこでも裕翔くんと一緒に出る機会が増えてきたけど、やっぱりわたしが見てるのは山田さんばっかりだった。

 

そんなこんなで迎えた2006年。

山田担で知らない人はいないであろう、探偵学園Qの単発のドラマが放送された。

姉が編集して、CD-ROMにタイトルとか印刷してくれて、ディスクが擦り切れるんじゃないかってぐらい見てた。

もう予想の遥か上をゆく成長率。かっこいい人に囲まれるとこんな上手に育つんだな、さすがジャニーズだな(しみじみ)とか思っていて、そんなこんなで1年。

 

難しいことは何もわからなかったけど、その頃ひたすら感じてたのは、あ、この人最近どんどん人気になってるって。嬉しいようなさみしいような、なんともいえないあの感じは大学生になった今だってぴったりな名前がわからない。

 

2007年7月。

探偵学園Q連ドラが始まった。

山田涼介の透明感と儚さとかっこよさを溢れんばかりに詰めた山田担にとって伝説の最強神ドラマ。

いちばんしっくりくる言葉をあてるなら、爆発。 もう爆発的としか言いようがないくらい山田涼介が人気者になったあの夏。 山田涼介をHey!Say!JUMPのセンターを任されるまでに押し上げたのかは間違いなくこれがきっかけだった。

 

クールな役にぶち抜かれてめでたくジャニヲタになった方、はたまた本来の山田涼介の人懐っこさにりゅうとのギャップにぶち抜かれてめでたくジャニヲタになった方。

きっと山田涼介のファンが増えた時期ランキング上位がこの時。

 

そこからとんでもない速さでHey!Say!7がデビューをして、あれやこれやと迎えた9月。

山田涼介はめでたくHey!Say!JUMPとしてデビューした。

JUMPには薮くんも光くんもいて、なんだか懐かしいような不思議な気分になった。

 

ここまでがとりあえずわたしが唯一jr.担だった頃の話。

気が向いたらデビュー後の話でも書きますか。はあ。長かった。